森繁久彌さん その1「宿命に沿った人生」
- 2017/06/24
- 23:12

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。前回までの「宿命と自我」というお話の中でミュージシャンのジャコ・パストリアスの生き方をごく簡単にご紹介しました。生まれ持った音楽の才能を、宿命を外れることで限界を超えて開花させ、多くの音楽ファンを魅了しました。その代わり、自らの運気を大きく落とすことになったのです。もちろん、才能を発揮するのに必ずしも宿命を外れる必要はありません。もちろん、充実した人生を送る...
森繁久彌さん その2「おちゃめなおじいちゃん」
- 2017/06/25
- 23:25

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。森繁久彌さんといえば私が物心ついたときにはすでに「屋根の上のバイオリン弾き」のテヴィエ役でロングラン公演を続けていました。テレビでは、たまに放送されていた「おやじのヒゲ」が印象的です。ちょっととぼけたおちゃめなおじいちゃん、という印象です。数多くの舞台、映画、ドラマに出演し褒章をはじめ、さまざまな賞を受け長年に渡り数々の活躍が評価されました。そんな森繁さんの...
森繁久彌さん その3「バランスとスケール」
- 2017/06/26
- 23:13

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。森繁久彌さんの宿命を見たときの最初の印象はバランスの良さと、スケールの大きさを併せ持つことでしょう。ただバランスが良いだけなら、安定した人生になりやすく良くも悪くも、極端な方向に展開するような傾向はありません。ところが森繁さんの宿命は、それに加えて大きく展開できる質も併せ持っているのです。周囲の人達から見ると、あまり欲も見せず自分のペースで頑張っているように...
森繁久彌さん その4「10代の運勢」
- 2017/06/27
- 23:02

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。森繁久彌さんは、その運勢にも大きな特徴があります。10代に巡ってくる運勢は、森繁さんの人生をピンボールのように弾き飛ばしてきます。ここで生じた反動をうまく利用できると30代以降の運勢が上がっていきます。宿命に安定とスケールの大きさを併せ持ちながら子供の頃の運勢が、中年期以降に向け人生を力強く弾き飛ばしてくれているのです。つまり、10代の生き方で残りの人生の傾向が決...
森繁久彌さん その5「幼少期の社会的地位」
- 2017/06/28
- 23:41

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。森繁久彌さんが生まれたのは大正2年。父は実業家、母の実家は問屋でした。久彌さんが2歳のときに父親が亡くなり3兄弟の末っ子だった久彌さんは母方の祖父の後を継ぐことになりました。この母親は、父親とは入籍しておらず父親には別に、正妻との間に4人の子供がいました。父親は久彌さんの母親との間にできた3人の息子を子供として認知していて自分の菅沼姓を与えていましたが久彌さん...
森繁久彌さん その6「下積み時代」
- 2017/06/29
- 23:16

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。大学では演劇部で活動していた森繁さんアマチュア劇団を創設して上演会を開いていましたが当時、大学の必須科目だった軍事教練が嫌で大学を中退し東宝(当時は東京宝塚劇場)に入社しました。その後、数々の劇団を渡り歩きながら舞台進行や小道具などなど下積み仕事に追われていました。そんな時、軍からの応召があったのですがちょうど耳の大きな手術を受けた直後ですぐに帰されたそうで...
森繁久彌さん その7「強運」
- 2017/06/30
- 23:26

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。森繁さんは、徹底して戦争を嫌っていたようです。軍事教練の授業があるために大学をやめたり徴兵を受けないよう、劇団での活動を辞め海外勤務のアナウンサー職についたりと自分の人生計画を変更することも厭(いと)いませんでした。バランスの良い宿命は、戦争では活しにくいものです。戦争で生き残るには、不安定で偏った宿命の方が有利です。どのような宿命にも、適切な環境が必要なの...
森繁久彌さん その8「宿命通り」
- 2017/07/01
- 23:07

今日の空夕食の写真は算命学のお話の後で。終戦後、日本に戻った森繁さんはいくつもの劇団を渡り歩き映画やミュージカルにも出演していました。そしてレギュラーで出演していたラジオ番組が人気となりそれをきっかけに、映画や芝居のオファーが次々と来るようになったそうです。映画では「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」のコメディー作品に主演し・・・ミュージカルでは「屋根の上のバイオリン弾き」が900回公演のロングランと...